◆ 2008年 1月 御菱葩と花びら餅 今やお正月には欠かせないお菓子となっている「花びら餅」ですが、明治のはじめ、裏千家11代家元玄々斎が川端道喜さんに初釜用の「御菱葩」(おんひしはなびら)の創作を依頼し、12代の道喜さんが現在の製法にて作り出されたもの が最初とされています。 今日 みる「花びら餅」はそれが、お正月のお菓子として全国に広まり、各地の和菓子屋さんで其々の「花びら餅」が作られるようにな ったものです。 「御菱葩」は、宮中の正月行事である『歯固めの祝』に用いられる鏡餅を基に作られたもので、道喜さんに残る文献(宮中の行事御用品を表した絵巻物)には、三宝の上に円形の白い餅に紅色の菱形の餅を交互に12枚重ね、その上に搗栗や榧の実、押し味噌、2匹の干し鮎などが並べられた絵図が残されているそうです。 江戸時代の初期に鮎が牛蒡に変わり、味噌がぬられた「御菱葩」の原形が宮中正月宴に初献され、その後、代々の天皇が正月恩賜の配り物としてお使いになり「宮中雑煮」とも呼ばれていたものだそうです。 利休大居士以来、禁中献茶を念願していた11代家元玄々斎は、慶応元年の八朔と慶応2年の正月にその望みが叶い、これ以降、恒例献茶となった喜びを一門にわかつため、御所より持ち帰った先述の正月恩賜の「御菱葩」を砕いて饅頭の原料に混ぜ初釜用の主菓子としてお祝いしたと言われています。 東京遷都の後、許しを得て裏千家初釜用の「御菱葩」 の創作を依頼したのが「花びら餅」の起源です。
従来二つ折れのお菓子は山が向こう、口を手前に用います。 裏千家門下である私は初釜にのみ牛蒡を手前で扱いますが、和菓子のお教室や一般のお客さまには牛蒡を向こうにお出ししています。 牛蒡も道喜さんは宮中の鮎にならって細いものが2本ですが、一般には1本が多いようです。 さらに地方に行くとお雑煮を模していることから人参の入ったものもあるようです。 (笑) もちろん私も「花びら餅」を作りますが、出来上がった「花びら餅」を眺め、白いお餅の下から薄っすらと紅色が透けて見え、ふっくらとした何とも愛らしい姿に笑みがこぼれます。 各お店によって様々な意匠があり、とても興味深いお菓子でもあります。 昨年のお正月、道喜さんの奥様とお話させていただく機会に恵まれましたが、その折にも「御菱葩」の向きに触れ、私が「海外向けのご本の中に「御菱葩」が縦になって紹介されている写真がございましたね?」とお話したら、「あの方は面白いカメラマンでした。。。 うちのおばあちゃんが言った通り、お食べになる方の自由ですから…こちらが言うことではありません」とのお返事が戻ってきました。 室町から続く禁裏御用を誇りとする名店は懐が深い!と、感心した次第です。
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